ツナが缶から飛び出して

旅人ワーカーである私が、日々考えること、旅記事なんかをとりあえずさまざまに書いてみます。

タイ・ラオス旅のはじまり

7月4日から9日までバンコク経由でラオスルアンパバーンに行きます!バンコク1泊ルアンパバーン3泊です。

今回は女子のひとり旅ということで、女の子たちに行きたいと思ってもらえるような(もちろん男性も!)旅行記が書ければいいな、と思っております。

ぜひご期待ください!

「出会い系」アプリやマッチングアプリについて考えること(Tinderのすすめ)

出会い系アプリやマッチングアプリと呼ばれるもの(Tinderやpairs、withなどなど)は、最近よく耳にすると思います。いくつものこういったサービスを利用した経験のある私が、もっともお勧めするTinderについてちょっと違った視点から考えてみます。

 

私の立場を先に述べておきますとこういったサービスに対して「賛成」です。なんならどんどん推進し、もっと多くの人に使ってほしいと思っています!なんでこう考えているかをお話しします。

 

まずTinderとは海外発のマッチングアプリで、日本でもかなり人気がありますが、大きな特徴が2つあります。

①匿名性が高くない(Facebookと連携・位置情報あり)

②男女ともに無料で使える

①あまりにも匿名性が高いと、危ないという意識をぬぐえません。facebookと連携しているため、この人とは共通の友達が何人かいるというだけで、一定の信頼の土台ができるのです。②ほかのマッチングアプリや恋愛系のサービスでよくみられるのは、男性だけが利用のために大金を払っているということです。つまり、男性側は本気で恋愛したいという目的をもっている一方で、女性は手軽に利用できるために、その温度差が女性を避けてしまうということもありますが、Tinderではその心配がありません。

 

そもそも「出会い系」という言葉がかなりマイナスなイメージと結び付けられていて、しかも上記のようなサービスには適切な表現ではないと思うので「マッチング」と言いたいと思います。これは非常に面白いサービスです。出会いようのなかった人たちが、出会う機会を得られるということなんです。

なぜ「出会い系」適切でないかといったかというと、Tinderに特に言えることなんですが、意外と恋人探しという名目でなくても利用している人が多いからです。そう見せているだけでしょう?というのも間違ってはいませんが、近所の飲み仲間探し、キャリア相談(実際に会ったことあります)といった目的で気軽に始めている人も多いのです。一方で、セフレを探している人ももちろんいて、それも意外とオープンにされていてわかりやすいのです。

(おそらく、危険な目にあった人もいるでしょうし、相手をあんまり信頼することもよくないです。そんな簡単に推奨すべきでないということもわかりますので、自分で責任をもって利用することが大前提です。)

 

最近の若者は恋人がいない人が多いというのは有名ですが、その原因の一つとしては、コミュニティが狭い、あるいは少ないということが考えられます。自分と似た境遇や育ちの人たちとこじんまりと(狭く深く)付き合っているということが多いです。

そういったフィルターバブルともいえるこの状況に、新しい風を吹かせてくれるのが、AIによって引き合わされるマッチングサービスだと思うのです。純粋にたくさんの出会いが生まれれば、おもしろいと思いませんか?

しかも、恋人を本気で作ろうと思った場合も、合コンなんかより合理的です。

 

だからこそ、これまで抵抗感を持っていた人たちも含めて、たくさんの人たちが使うことで、これが「ふつう」になって「あたりまえ」のサービスになってほしいと考えています。 

 

おまけ

私はTinderで何人かの人にあったことがあり、今付き合っている方はそのうちの一人です。とても波長が合って驚いたのですが、共通のコミュニティもなければ、性格も違うので、Tinderがなければ絶対に出会わなかったです。

こういった素敵な出会いがもっと世の中に増えればいいな、と思います。

八ッ場ダムに行ったら、ダム女への第一歩を踏み出してしまった

先週末、慰労とかこつけて草津に行って参りました!いい湯でした〜♨︎

 

しかし、この旅の目的地は八ッ場ダム!現在建設中のダムの中で日本最大のダムです。

 

え、ダム?何が面白いの?

 

と、思った方も多いかと思います。私も友人に説得され、訪れるまではそう思っていました。

 

八ッ場ダム草津から車で30分もかからずに行けます。ここでは木曜以外の毎日、ぷらっと見学ツアーという国交省主催のツアーが開催されています(http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/yanba00179.html)。

 

予約なしで参加できるので、私も参加してきました!私が参加した日曜日の11時の回は4〜50名も参加者がいて驚きました!しかも子供はほとんどいませんでした。このダム人気に、ますます私の期待値は上がります(笑)

 

全員がヘルメットをかぶり、時間になると説明が始まりました。それが終わると、工事中のエリアに入ります。入れるエリアの1番奥まで進むと、それから20分くらいは説明も少ないので、みんなが思い思いに写真を撮ったりしていました。日曜日でしたが、たくさんの人が働いている様子を見ました。ここに関わる現場の人は600人ぐらいいるそうですよ!

 

いや、すごいですよ、八ッ場ダム

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本当に大きい!桁違いの大きさです。

日本では数少ない超巨大なクレーン、長い長いベルトコンベア、空を横切るケーブル。想像をはるかに超えるスケールに感動しました。

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そして、ものすごい広いエリアがダム湖となって、水に沈むのです。それを想像するだけでなんだか震えます。

 

ダムは治水の役割が大きいです。八ッ場ダムは、利根川上流において水量調整をし、関東での川の氾濫による災害を防いでくれるのです。

 

今回、八ッ場ダム建設にはものすごいお金がかけられていると肌で感じましたが、それよりも、関東地方が水害によって、何百億とか何千億とかの経済的損失が生まれるよりはよっぽど低コストです。たしかに合理的ですね。

もちろん環境破壊という批判もあるでしょうが。

 

ともかく、すごいスケールで、たくさんの労働力によってすごいスピードで、建設が進む八ッ場ダムには感動しました。来年の2月ごろには完成するそうなので、ぜひ建設中に足を運んでみてください!

 

ちなみに、黒部ダムはここよりも大きいので、ぜひ行って見たいですね〜!

 

おまけ

もちろん、ダムカレー食べてきましたよ!

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自分でカレーを放流!ってのをやりたかったんですが、残念ながら皿で仕切られてました。しかも、私のはすでに決壊していて...。

若干期待はずれではあったのですが、味は美味しかったので、満足です。

 

佐治晴夫先生の講演「どの一瞬も美しい 〜宙と時の不思議〜」を聞いてきました!

今日コスモプラネタリウム渋谷で行われた佐治晴夫先生の講演会に参加してきました!

 

佐治先生は、理学博士でありながら、数多くの著書があり、東急線のフリーペーパーSALUSでもコラムを書いているのでご存知の方も多いですかね?

先生の考えや言葉がとても素敵で、私は大好きなんです。

 

先生と解説者による星の解説から公演は始まりました。プラネタリウムってなんだか宇宙と自分という人間が一体化できるような、不思議な感覚がするので、心地よかったです。

 

そのあとは明かりもついて、宇宙や時間、人の命などさまざまなお話を聞きました。

 

お話の中で、私の心に刺さる言葉、ストーリーはいくつもあったのですが、一番好きだったのは人間についてのこんなお話です。

 

超新星爆発によって散った「星のカケラ」から誕生してきた人間ですが、同じ体重の太陽があったら、人間はその1万倍のエネルギーを創出している生き物なんです。つまり、人の発するエネルギーっていうのは、どの星よりも大きいんですよ。すごいでしょう。

 

そして人間は、いろんな生物の歴史の上にこのような姿として誕生しているのだから、たくさんの歴史を背負って生きているとも言えますよね。

 

こんなお話を聞いていると、人間というか、自分のいのちの尊さに気づかされる気がします。先生の魅力は、そういったいのちの尊さとか平和への祈りみたいなものをさまざまなお話から感じられるところですよね。

 

非常にお若く見えますが、83歳の先生のお話が聞けて本当によかったです。なんだか歳をとるのも悪くないなぁ、なんて。

 

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おやすみなさい

 

和辻哲郎『巨椋池の蓮』と自己嫌悪

和辻哲郎随筆集』の中に「巨椋池の蓮」というものがあります。文字通り、巨椋池に咲く蓮を見て感動したという話です。

静かな船頭が、少しの音を立てて水をかき、蓮華の花を押し切る。鷭が目を覚ました音をかすかに耳にしながら、遠くまで広がる蓮華の情景と、流れるように種類が変わっていく景色の美しさにうっとりする。そして白んでゆく空と夢から現実へ引き戻される瞬間。

全てを体験できたと思いました。こんな追体験は久々。私の頭の中にある蓮は、もしかしたら現実のものとは少し形や大きさが違うかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいのです。ネットで調べるなど愚行はしません。私は和辻と同じような感動を味わったんです。

 

しかし、文章の最後のところに、現状はどうなっているかわからないので、行くなら問い合わせるがいいとあったので、どうしても気になって調べたら僅か一秒で答えがわかってしまいました。

和辻の願望とは真逆でした。この感動を一瞬で現代に連れてきてしまった自分に嫌気がさしたという話です。

20歳のミャンマーの追憶

20歳の夏、私は一人でミャンマーに旅立った。

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バガンで出会ったコウキと、同じ夜行バスでヤンゴンに到着した。バスを降ろされる混乱の中、私たちは、街の中心部にある市場の前でまた会う約束をした。

それから歩いて向かった宿のロビーで少し休憩した。荷物を整理していると、約束の時間が近づいてきたので、あわてて宿を出た。お金も減ってきたから歩いて待ち合わせ場所に向かった。

 

市場に着いたが、コウキはまだ来ていない。場所が分かりにくいかもしれないなと思いながらも、キョロキョロ周りを見ながら待つ。

もう一時間は経ったが来ない。うろうろしていると何が欲しいの?ってたくさんの人に声かけられる。

私は人を待っているの。

wi-fiに繋げるために隣のモダンなショッピングモールに何度も行くが、いっこうにメッセージに返信はない。

どうしようか。もう諦めて場所を移動しようか。特に行くあてもないけれど。でも、何かあったのかもしれないと考えると心配で、そこを離れる気にはならなかった。

二時間が経過したころ、最後の確認をしにショッピングモールに足を運んだが、結局返信はなかった。

ようやく頭を切り替えて、どこに行こうかと考えていると、目の前に小さな女の子が現れた。10歳に満たないだろうか。私を見上げて笑っている。そして彼女が後ろを向くと同時に、私の視線も動く。

 

そこにいたのはコウキだった。

私がびっくりして言葉を発せないでいる隙に、女の子は「ほらね!ここにいると思ったんだよー!!」と流暢な日本語で、自慢気な顔を私とコウキに向けている。どうやらコウキが私を探していることを伝えると、日本人がここら辺をうろうろしているのを思い出して、連れてきてくれたらしい。「ピンと来たのよ!」と自分の店で売っている扇をもって、何度も繰り返す。

私はこの少女を見かけた記憶はなかったのだが、こんな奇跡があるものかと感動しきりで何も聞けずにその場をやり過ごしてしまった。

そのあとは彼女にしばらく私たちのガイドをしてもらった。日本語を話せるミャンマー人の小さい女の子が、日本人二人を率いている姿は、とても不思議だったに違いない。

 

これが、私が旅の中で一番驚いた経験である。

贅沢な時間・閑暇について考えてみる

みなさんは暇が好きですか?それとも、忙しく何かをしているのが好きですか?

 

私は前者ですが、ぼーっとしているのが好きなのではなく、「何をしようかなぁ」って考えているような「暇のある」(あるいは「遊びのある」)時間が好きです。

 

現代社会に生きる人々には、暇のない時間が流れています。常にやることに追われていたり、常にTVやネットなどのメディアにさらされていたりと、暇な時間を与えません。

それどころか、なんだか暇を疎外しているような気がするのです。

 

でも、それもそうかと思うわけです。だって、「時は金なり」という観念のもとでこれだけ資本主義社会を発展させてきたのだから。

 

だから、私はむしろ暇こそが最大の贅沢なのではないかと考えています。

私にとって何もすることがない時間は、大げさに言えば資本主義から離れている時間だと感じます。

また、普段は何かの目的のために動いている私たちにとって、「無目的性の贅沢」をも感じることができるのです。

 

こう考えると閑暇は尊く、大切にしたいと思いませんか?

 

ここまでつらつらと書いてきた私がもっとも言いたいことは、旅ならそれが味わえるということです。

忙しく働いている人たちにとって、旅というのは暇を味わえるチャンスだと思っています。先進国でなく、忙しくない国(ミャンマーラオスなど)に足を運ぶと、そこに流れるゆったりした時間に身を任せることができます。そこに「無目的に」いって、存分に何もしない時間を体験するのはとてもおススメです。(無目的を目的としているという矛盾はありますが(笑))

 

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(2017.09ミャンマーバガンにて )